ヤマト運輸「宅急便」生みの親 小倉昌男元社長が死去FujiSankei Business i. on the Web 2005/7/1
ヤマト運輸元社長の小倉昌男氏が亡くなった。80歳だった。
体調を崩されていたことは何かで読んで知っていたが、それにしてもあまりに急な訃報にショックを受けている。
有名な方なので詳しい説明は省略するが、僕が感銘を受けるのは氏の信念の強さである。
長距離・大量輸送が主流で一般消費者向けの小口配送などに見向きもしなかった陸運業界の常識を破り、消費者の立場に立ちゼロベースからまったく新しい市場を造るとの信念のもと、社内の猛反対を押し切り1976年に宅急便を開始。見事に広範な消費者の支持を獲得し業界の盟主の座に君臨する。
また、路線免許申請を5年間も放置した運輸省相手の行政訴訟、親書の取扱いを巡る郵政省との闘いなど、孤立無援の逆風の中でも一歩も引かず自らの信念を貫き通し勝利を勝ち取った。
退任後は私財を投じヤマト福祉財団を設立。月給の平均が1万円だった障害者福祉施設の実態に衝撃を受け、経営の概念を導入し真の意味での障害者の自活に向けて改革を展開していく。その結果、焼きたてパンのチェーン店を展開するなどして月給10万円を実現させた。
「保護ではなく自立を支援するのがノーマライゼーション(等しく生きる社会の実現)」という哲学が素晴らしい。障害者を色メガネで見ようとせず、見下したりせず、平等な存在として暮らせるよう手をさしのべている。常人にはなかなかできることではない。
こういう人は人生の密度が全然違う。まもなく37歳になろうかという僕にはその差を埋めることなどできない。仕方のないことだ。
しかし、そんな小倉氏の存在を知ることができたのは幸運と言っていい。知らないままで終わるのとではエライ違いだ。
小倉氏から学んだことを、どんな些細なことでも良いから、ひとつでも身に付けて実践していきたいと思う。
ということで、皆さんも小倉氏の著書を是非ご一読下さい。
さすが近代日本の会社経営に大きな影響を与えた人の訃報に対する記事だけあって、「
常務日記」みたいな日陰のブログ(?)にもトラックバックがたくさんついた。何か嬉しい(^○^)
みなさんそれぞれの視点で小倉氏を捉えていて立派だと思う。
僕が小倉氏を初めて知ったのは、前に勤めていた
鹿島建設の新事業開発本部で当時の本部長が40歳以下の若手社員を招集し、「
既成概念にとらわれず、まったくのゼロベースから新市場を創出することができるような事業を企画せよ」との勅旨が下された時である。
その時本部長が引き合いに出したのが小倉氏と宅急便事業で、故に小倉氏は僕らにとって「
ゼロベース市場の偉大なる聖人」だったのである。
しかし情けないことに、僕が小倉氏の本当の凄さを知ったのはそれから4年後、氏の著作「
経営はロマンだ!私の履歴書・小倉昌男」を読んでからである。
この機会に小倉氏をもっと深く知りたいと思う。
まずはこの本から。
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